評価を越えて、自分だけのユニークでラブリーな歌を、歌え。歌え。

先日開催したフラメンコワークショップ。

これがもうすごく面白かった。

 

イベントに大学の同期が来るってよ!

このイベントの参加者は全部で7名。そこに、大学のゼミの同期、会うの10年ぶり近いっていう友人が突然やってきた。フェイスブックでイベントをシェアした時、超軽いノリで、行くわ〜!っつって参加。

 

まじかー!

 

なんとなく、自分は最近「一般的な」「普通の」ことをやってないよねっていう自己認識があって。企業で働く学生時代の友人たちに「何してるの?」って聞かれてもなんとなく、「えへへ」って感じでごまかしてるところがあった。やましいことはしてないのに、なんとなく自然体では話せない感じ。

 

そういう人たちとは年末とか慶事で会うだけで、普段はイベントに来る人もいるわけじゃないので、会う時だけ「えへへ」ってやってればよかったんだけど。なんと今回はイベント自体に来るってよ。

 

ちょっと戸惑うやーん

 

ほんでさ、フラメンコ踊りたい!とかいって参加表明くれたけど多分思ってるのと違うよ〜?まあでも、説明文には書いてるし、いっか!

 

なんて思いながら当日を迎えて。

 

「どう見られるか問題」勃発
始まってみたらやっぱり普通のフラメンコじゃない。自分の内側にあるものをがっつり表現していく。それが勝手にフラメンコになってゆく。ものすごく深く、エネルギーに溢れた場。涙が流れたり、人目を憚らない大きな声でまさかの「ぞうさん」を歌い、表現し、動く。それはそれはもう、「普通じゃない」感満載の時間。だけどへんてこのイベントとしては超普通の光景だし、わたしの大好物でもある。

 

そんな大好物の時間の中でさえも、わたしの中に不安がチラつく。
わ〜どう思われてるんやろ〜・・・「怪しい人たちと怪しい事してたわww」とかって後から言われるんちゃうか!わたしの不安は、わたしがどう振る舞うかということに加えて、わたしが企画したこの場に関してのものでもあった。
こんな不安、イベント企画し始めて超久々。不安に新鮮さと懐かしさの両方を感じつつ、ぞうさんのソロ、大学時代の友人の番。彼女の表現を見ている時、突然、あれ?って気づいた。

 

 

「わたしずーっと、大学の時と同じことやってるやん!!」

 

 

友人が堂々と歌い表現する姿を見てたら、ゼミ展や、グループ展での講評会の時の記憶が頭をよぎった。一緒に過ごした時間を思い出した。

 

わたしはずっと、表現するってどういうこと?表現がアートになるってどういうこと?人が表現するってどういうこと?そこにある評価って何?この表現のヒエラルキーってなんなの?っていうのを追いかけて来たんだった。今も、前も、ずっと。

 

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2015年開催、《出張オモ部!JOEと行く、宇宙人祭り》より

 

このことに気づいた時、なーーんだ!!って、すごい元気出た。やるやんわたし、って。やること一貫してないようで、中身一貫してるやーんって。

 

そしたら続けて思い出した。さっきのは元気出たけど、こんどは、じくじくと元気を吸われるような感触。
学生時代、作品を作るたび、人からの評価が怖かった。グループ展や個展をした後の講評会では、常に先生や先輩、後輩の眼が気になってた。でもそれじゃあやっていけないから、人からの評価が怖いって気持ちには蓋をした。そして、人の表現を「おもんない」って笑いながら言っている先輩を、そういうアーティストを心から憎んで軽蔑した。笑って逃げるな!マウンティングすんな!サイテーだ!って思ってた。思いつつも、評価する側に逃げようとしたこともあった。評価する側に回るには評価されることが一番早道。評価を得てそこで安住したいと思って、コンペとかにも出した。そしたら楽になるかと思って。結局居心地悪くて長居はできず、次は評価されて苦しむ人を保護する側に回ろうとした。でもそれは結局、評価する人を安全な場所から評価し、評価されなかった人の受け皿になり、こっちがうらやましかろう!的に土俵の外で好き勝手しながらも、表舞台に出されようとすると評価が怖くて全力で逃げるという、くそみたいにわかりにくいポジションだった。

 

評価する人たちを憎みむかついていたのは、
わたしが人からの評価を死ぬほど恐れてるからだった
表現って何?を追いかけながら、わたしはわたしの表現を人にどう受け取られてどう評価されるのかを、ずーっと怖がり、ダメ出しされることを恐れ、気にしてきた。超絶認められたくて、褒められたかった。それはつまり、評価によって自分自身の価値も決まると思ってたからだ。結果、猛烈に評価を、評価する人を憎みつつ、わたし自身が、人の表現を評価し続けてきた。評価に力を与えまくってきた私の人生。ほーーんと、残念な入れ子構造。まじどんまい、わたし。おつかれちん。

 

 

わたしは評価を恐れ、評価に事実以上の力を与えながら生きてきた。
これを認めよう。
そして同時に、わたしはこの12年間、人間が表現するってどういうことなのかを誰に言われるでもなく追いかけてきたことも認めよう。そこに情熱があることも認めよう。お前はつまらんと言われても、それは無理でしょうと言われても、結婚しても、仕事が変わっても、こどもができても、私は「表現って何?」という問いを追いかけることを、やめなかった。表現するということは特別なものでなくて、アーティストだけに許されたものでなくて、技術で評価されるものでない。表現することは誰にでもできるのに、誰もが特別扱いしすぎてる。どうやったら簡単になるんだろう?ってずっと追いかけてきた。そしてこれからもそうだ、という感じがする。

 

ふむ。今、自分に誇りを感じてる。
道半ばにいることも誇らしい。
そしてなんだか、より「なんでもいいね」
「なにしたっていいよね」感が増してる。

 

きっかけをくれた大学時代の友人もりちゃんと、
そこに堂々と乗っかれる機会をくれた飯塚マキさんに感謝!!!
そしてここまで見事波乗りしたわたしよ、あっぱれ。
もうそろそろ、who am I が完成しそうな予感。

あ、できたかも

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私はアートです。
私はこの源から、人間のユニークでラブリーな歌が響き合う世界を創り出します。
そのために私は、「みんなに認められたい」を手放します。

 

ははぁ〜〜〜〜きたなこれ!
口で言っていたこと、ぼんやり思っていたことが、腹の底で形になってきているのを感じていま、なんていうか、幸せで、元気です。

歌え、歌え。
わたしはわたしの歌を。

あなたは、あなたの歌を。

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