自分を信じられない自分を、責めなくていい。

Facebookを眺めてると、
人の発言や言動に、
モヤっとしたりザワザワしたりする時がある。
批判したくなり、否定したくなる。

 

そうしたくなる衝動はどこから来るのか?自分の内側には何があるのか?を掴まないまま動くと、

 

「あなたはそう思うんだね」
「わたしは違うなぁ」
「なるほど」
「へぇ〜」
「それはつまり云々、、、」
「わたしは〇〇!」
「応援してます」

 

なんと言おうが、他人に伝わるのは

 

「なんか妙だな」
「これ本音ちゃうやつやな」

 

っていう違和感だけ。

 

逆に言葉の表面上は否定していても、話し手の内側に肯定や承認のエネルギーがあればどんな言葉でも「なるほど!」って感じになる。

 

私たちが言葉の意味を越えてやりとりしているのは

言葉の発し手の内側にあるエネルギー。


誰かの何かに反論したい時、否定したい時、
そんなときは

 

「あなたが正しい」
「あなたは間違ってない」

 

って誰かに言って欲しい、知って欲しい時。
つまり、自分を信じられてない時。
自信がない時。

 

で、ただそれだけ。
自信がないってことは、
悪いことでも恥ずかしいことでもなんでもない。
自分のことを探求する流れの中で、
自分のことを信じられてる人が素敵な人で
信じられない人は素敵じゃない、未熟だ
っていう思い込みみたいなもんがあるのかなと思う。
本末転倒。

 

自分を信じられない自分を責めなくていい。
ただ、今のわたしにはそういう側面がある。
それだけ。

 

自分が自分を信じられない時、
それはどういう時に現れやすいかに注意を向ける。
そして幼い頃の何かの想い出に紐付いていないか、
辿ってみる。
自分の思考のクセや、
自分を守るために決めた信念を見つける。
そして、その信念を今のわたしバージョンに書き換える。

 

書くと簡単だけど、
やると根気と胆力のいる内省の旅。

 

この内省の旅の道中では、
探求の旅路ついて誰かに明かせたらとてもいい。

 

「わたし、自信がないって思ってる。
自分を信じられないって感じがある。
特にこういう時に、それがある。
そしてそれがあるということが不安だ。」

 

徒然なるままに打ち明けられる相手がいれば
そしてそれを聞いてくれる相手がいれば
そういう関係性を築いてきた相手がいれば
その人の存在を感じるだけで進む勇気が湧いてくる。
そういう人こそ友達と呼べるのだと思う。

 

へんてこ書房を始めて良かった。

へんてこ海賊団を作って良かった。

へんてこジャーニーをやって良かった。

おとな表現塾をやって良かった。

 

私は、友達がいることが

本当に嬉しく、ありがたい。

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