こどももおとなも「なんとなく」から学びが起こる

5歳の息子きーちと車に乗っていた。
ぼーっとしていたきーちが突然、話し出した。

きーち「おかあさんあのさ」

私「なに?」

きーち「さいしょにうまれた人って誰なんやろな〜」

私「それお母さんもずっと考えてた!」

きーち「そうなん?あのさ。きーちのお母さん、おかあさんやん。

おかあさんのおかあさん、よしみさんやん。

よしみさんのおかあさん、猫の家のおばあちゃんやん。

猫の家のおばあちゃんのお母さんは?」

私「リマばあちゃんやで」

きーち「リマばあちゃんて人のおかあさんは?」

私「うーん、ひいひいばあちゃんやけど、もう知らんなあ」

きーち「誰が産んだんやろうな〜さいしょのひと!そのさいしょのひとは誰が産んだんやろうな〜!」

私「ねー、知りたいね!」

きーち「うん、一緒に調べような!」

このやりとりに私はいたく感動した。
で、「なんでそれを知りたいと思ったの?」て聞いてみた。
答えは、「なんとなく」だった。
なんとなくってどういうときに言うの?と聞くと、
「なにかわからないけど、ん〜、って時に言う!」とのこと。

 

私は、「なんとなく」という感覚は宝物だと思う。
言葉になる前の、言葉として捕まえる前の、なにか。
言葉を濁すための、もしくは
逃げの言葉としての「なんとなく」ではなく。

 

おとなは、おとな自身やこどもたちの「なんとなく」を、
理論や常識や経験則でぶった切ってないか。
なんとなく、ということをおとなはあまりにも、
乱雑に扱っているような気がする。

 

「なんとなく」
それは虫の知らせのようなものかもしれないし、
自分の身体の奥底から湧いてくる声かもしれない。

 

そしてその「なんとなく」という感覚から、
それは一体なに?どういう感じ?
なぜそんな感覚になったの?という問いが湧いて、
その問いこそが、人を学びに誘うのだと思う。

なんかのおとがする、と貝殻の音を聞く3歳のきーち。

 

「なんとなく」という感覚と共にいること。
そしてそれが自分を怠惰にするためではなく、
成長させていくためにそこにあるのだと捉えること。
そのサインが私になにを知らせている可能性があるか?
という問いを持ってみること。
おとなもこどももこれができたら最強説を唱えたい。

 

そのためにはまず、おとな。
おとなが怠惰な「なんとなく」を使うことをやめることだ。
やめるには、常に自分の願いとともにあろうとすることだと思う。
こうしたほうがいいよね、とか、
こう言っておいたほうがいいよね、とか、
**さんへの心証が悪いからどうこうとか、
世間体がどうこう、とか。
そういう情や思考の計算に惑わされることなく、
常に自分の真実を生きようとすることだと思う。

そういうことを本当にやっていこうね、
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